東京大学卒業式の式辞に仕掛けられたアノ「最後の冗談」を実際に調べてみた
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3月は卒業式の時期ですね。
この時期になると、私の周りの誰か1人は必ずシェアするとある記事があります。
結果的に私の Facebook のウォールにこの時期には毎年あがってきます。
東京大学 2015年教養学部学位記伝達式 式辞
それは、、、
卒業式のすばらしい式辞に関する記事です。
東京大学の東京大学教養学部長 石井 洋二郎 先生が、2015年の卒業式(教養学部学位記伝達式)に、式辞としてお話しされた内容の記事です。
式辞は、1964年、当時の総長であった経済学者 大河内 一男 先生の「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」との有名な言葉を引き合いに始まります。
とてもすばらしい内容ですので、全文はみなさまそれぞれに読んでいただくとして(すでにご存じだという方が多数かと思いますが)、石井先生の「最後の冗談」を実際に調べた方っていらっしゃいますでしょうか?
石井先生がこの式辞を述べられてから、すでに2年が経過しています。
(ブログ記載日:2017年3月29日)
ちなみに、私の周りに実際に調べたという人は居ませんでした。
かく言う私も2年も調べていないことを意味しているわけですが(笑)
そこで、ほとんどの人が読んだだけで実際にはやっていない「最後の冗談」を実際に調査します。
最後の冗談とは?
「最後の冗談」ってなんだろう?という方のために、式辞より関係箇所を最小限抜粋させていただきました。
・・・
「つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。」
・・・
「自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。
もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。」
・・・
平成二十七年三月二十五日
東京大学教養学部長 石井洋二郎
(平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 - 総合情報 - 総合情報 2015/03/30)*1
調査スタート
ニーチェは『ツァラトゥストゥラ』という本を書いたのか?
そもそも「ニーチェ」って誰だろう?
どの「ニーチェ」?というところから確認です。
もしかしたら、石井先生のご近所のお友だちの「ニーチェ」さんが書いた『ツァラトゥストゥラ』かもしれないですからね(笑)
まずは「ニーチェ」といえば、多くの人が思い浮かべるこの人を調べてみようと思います。
そう「フリードリヒ・ニーチェ」さんです。
(この Wikipedia の情報の真偽も今回は重要となりますが、後述の書籍による情報を含め、正しいといえると考え進めていきます。)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、ドイツの哲学者、古典文献学者。
(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)
現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。
古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。
随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。*2
ふむふむ、今から約100年ほど前のドイツの哲学者、古典文献学者ですね。
Wikipedia を読み進めていくと「個々の著作の概要」の項目に以下の記載がありました。
『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ニーチェの主著であるとされており、またリヒャルト・シュトラウスに、同名の交響詩を作曲させるきっかけとなった。なお、ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教(拝火教)の開祖ザラスシュトラの名前のドイツ語形の一つであるが、歴史上の人物とは直接関係のない文脈で思想表現の器として利用されるにとどまっている。*3
まず、邦題は『ツァラトゥストラはかく語りき』となっていますね。
この本で間違いなさそうです。
次に、この著作は音楽家へも影響を与えたようですね。
折角なので、シュトラウスの Wikipedia も見てみると、以下の記載が。
シュトラウスの死後に映画『2001年宇宙の旅』で使われ有名になった『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1896年)がある。*4
ん、映画『2001年宇宙の旅』!
あの『2001年宇宙の旅』かな?
それなら、きっと知ってる曲だなと思い、YouTube で確認すると、、、!!!
おおお!
あの有名な『2001年宇宙の旅』のテーマ曲ではないですか!!
本編とは関係ないですが、思わぬつながりの発見にちょっと感動。
Wikipedia に戻り「著作」の項目を見てみると、、、
『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach Zarathustra, 1885)
とありました。
この『ツァラトゥストラはかく語りき』のリンクを飛ぶと『ツァラトゥストラはこう語った』というページへ、どうやら邦題はパターンがいくつかあるようですね。
『ツァラトゥストラはこう語った』のページを見ていくと、以下の記載が。
『ツァラトゥストラはこう語った』(ツァラトゥストラはこうかたった、Also sprach Zarathustra)は、1885年に発表された、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作。
「ツァラトゥストラはかく語りき」、「ツァラトゥストラはかく語れり」、「ツァラトゥストラはこう言った」等とも訳される。全4部から構成されている。
・・・
ボン大学と、ライプツィヒ大学で、文献学者リッチェルの指導を受けたニーチェは、その能力を認められ、26歳(1870年)の若さで、バーゼル大学の古典文献学教授となった。しかし、健康上の理由から、35歳(1879年)で大学を退職、孤独な執筆生活に入ることとなり、持病の発作に悩まされながらも、1889年に発狂するまで、多くの著書を世に出した。
その中でも本書は最も重要なものとされている。本書の最初のインスピレーションとなったのは、1881年の夏、ニーチェがエンガティン峡谷の小村シルス・マリアに滞在したときで、そのとき散歩中のニーチェは突然永劫回帰の思想の啓示を受けたのだった。
その思想が熟成し『ツァラトゥストラはこう語った』という表現形式を得たのは2年後のことであった。
・・・*5
間違いない、この本だ!
アマゾンでも調べてみると、とても多くの書籍が出版されていますね。
すでに読まれたことのある方もたくさんいらっしゃると思います。
- 作者: フリードリヒ・W.ニーチェ,Friedrich Wilhelm Nietzsche,佐々木中
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/08/05
- メディア: 文庫
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ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)
- 作者: ニーチェ,Friedrich Nietzsche,氷上英廣
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1967/04/16
- メディア: 文庫
- 購入: 19人 クリック: 166回
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- 作者: フリードリッヒニーチェ,Friedrich Nietzsche,吉沢伝三郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1993/06
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 16回
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- 作者: F.W.ニーチェ,Friedrich Wilhelm Nietzsche,手塚富雄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/04/10
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 2回
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NHKテレビ ニーチェ『ツァラトゥストラ』 2011年4月 (100分 de 名著)
- 作者: 西研
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2011/03/25
- メディア: ムック
- 購入: 1人 クリック: 21回
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ということで、
「フリードリヒ・ニーチェ」さんが書かれた「ツァラトゥストラはかく語りき」を対象として、調査を進めていきますね。
次は、
原本での表現は?
翻訳での表現は?
石井先生の表現との違いは?
まずは、原本を使って原文での表現を調べます。
『ツァラトゥストゥラ』は、1885年の著作ということで古書です。
神保町などの古書店で入手できるかもしれませんが、新本を扱う本屋さんでは取り扱いはなさそうですね。
予算をかけず調べられたらいいなと思ったので、今回は図書館で探してみたいと思います。
原本がないと意味がないので、蔵書数日本最大の国立国会図書館(東京本館)へ行くことにしました。
いざ、国立国会図書館へ、GO~!
この国立国会図書館は、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館です。
つまり、日本で販売された本は(基本的に)すべて蔵書されています。本には雑誌も含まれているので、週刊少年ジャンプも発売日の翌日(火曜日)くらいには、図書館でゆったり読めたりします(笑)
桜の開花も、はじまっていました。
なお、国立国会図書館の入館および利用には、登録利用者カードが必要となります。
来館時に利用者登録カウンターで、必要事項を記載し、身分証を提示するとすぐにカードを発行してもらえます。
入館できたので、さて何を借りようかと一考し、、、
- 原本は必須であること
- ドイツ語が分からないので(涙)、翻訳本も必要であること
- 新しい翻訳本の方が現代語のため理解しやすそうであること
- 検証のため古い翻訳本も必要であること
という、整理をしました。
この整理のもと、以下書籍の貸出請求をしました。
【貸出請求ってなんだろう?と思われている方へ】
国立国会図書館では、ほとんどの書籍が書庫にあって、通常の図書館のように自分で手にとって探すことはできません。そこで、まず備え付けのパソコンを使って書籍を請求します。すると30分ほどで貸出カウンターに届く仕組みとなっています。また、一度に請求できる本は3冊まで、雑誌は10冊までです。
- 『Also sprach Zarathustra; ein Buch für Alle und Keinen』(原本かな?)
書籍情報:NDL-OPAC - 『ツァラトゥストラかく語りき』
河出書房新社, 2015.8. / フリードリヒ・W・ニーチェ 著 ; 佐々木中 訳- 作者: フリードリヒ・W.ニーチェ,Friedrich Wilhelm Nietzsche,佐々木中
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/08/05
- メディア: 文庫
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- 『文語訳ツァラトゥストラかく語りき -- 新装版』
書肆心水, 2014.9. / ニイチェ 著 ; 生田長江 訳
請求を済ませたので、いざ本館6Fの食堂へ。
なぜ食堂へ行くかというと、貸出請求をしてから手元に届くまでの30分がもったいないので、お昼を食べに(笑)
旧名物「国会丼」に変わる新名物「図書館カレー」(570円)をいただきました。美味しかったー!!
昼食が終わるとお腹も満たされ、書籍がちょうど届く時間になりました。
本館2Fの受取カウンターで書籍を3点ゲットし、閲覧室へ移動。
まずは原本らしき書籍から確認してみます。
文庫本サイズの書籍です。映画『インディ・ジョーンズ』にでてきそうな古文書のように年季の入った茶色の装丁がとてもよい雰囲気を醸し出しています。
寄贈による書籍のようで、書き込みが多くありました。
残念ながら、複写NGの書籍とのことでしたので写真はありません(涙)、確認されたい方は国立国会図書館へ、GO~!
ドイツ語ではあるものの前出の Wikipedia の写真とは違うので、どうやら原本ではなさそうでした。
原本を入手できなかったのでここで終了~とはしたくないので、この書籍の内容が原本と同じであるとして、進めていきたいと思います。
さて、ここで確認したいのは3点。
- 原本での表現は?
- 翻訳での表現は?
- 石井先生の表現との違いは?
ドイツ語が分からないため、原本を読み進めて原文を確認するには、記載箇所の特定にとても時間がかかってしまいます。
そこで、翻訳本で記載箇所の特定と翻訳の表現の確認を先に行いたいと思います。
確認までに、石井先生の表現ではこうなっていました。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
この部分を探すべく翻訳本の読書スタート!
が、しかし、
最初(第一部:ツァラトゥストラの序説)から読み始めたのですが、なかなか記載箇所が出てきません。。。一体いつになったら出てくるんだろうと思いつつがんばって読み進めるも、啓示的な表現に、ついに(早くも)断念。
500ページ前後あるので最後まで読んでたら図書館の閉館時間をむかえてしまう、、、と自分に言い訳をしつつ、記載箇所をネット検索で見つけてみることに。
すると、ありました。
「第一部」の「創造する者の道」
どうやらここに記載があるのようなので、翻訳本を確認してみます。
やったー、ありました!!
翻訳の違いがあるものの記載箇所は判明しました。
汝は汝自らの焔に焼かるることを欲(ねが)わざるべからず。
汝先ず灰燼(かいじん)となることなくば、いかぞよく新しくなるを得ん。*6
君は、みずから自身の炎で、自分自身を焼こうとせざるを得なくなる。
ひとたび灰になりおおせることなくして、どうして新たに甦ることができるというのか。*7
文章を正しく理解しようと「創造する者の道」の章だけですが翻訳本を2冊とも読んでみるも、んーん、全体としてはよく分からない(涙)
解説本の助けもかりつつ、後日、読んでみたいと思います。
さて、調査は進めるとして、記載箇所の確認ができたので、いよいよ、原文での確認へと進みたいと思います。
まず「創造する者の道」のドイツ語は、翻訳本から「Vom Wege des Schaffenden」であることが分かりましたので、これを手掛かりに探してみると、何とか発見できました!
次に該当文章がある箇所の特定ですが、翻訳本からの手がかりとして、章の最後から6つ目の段落の可能性が高いので、その文章を確認してみることにします。
その文章はこちら。
Verbrennen mußt du dich wollen in deiner eignen flamme : wie wolltest du neu werden, wenn du nicht erst Asche geworden bist!
ßっなんだろう?とか、活字のフォントの s がほとんど l としか読めなかったりと、テキスト化するだけでも、一苦労です。
この段階では、「flamme」は英語の「flame:炎」かな?くらいしか想像できません。
そこでネットの辞書で一語一語を検索してみることに。
今回は「Wiktionary」と「ドイツ語-日本語 辞書, Glosbe」を使いました。
- Verbrennen :燃やす
- mußt :~しなければならない(検索できなかったが、英語の must と仮定)
- du :あなた
- dich :君
- wollen :望む
- in :の中に
- deiner :君たち
- eignen :です
- flamme :炎
- : :(コロン)
- wie :どう
- wolltest :wollen(望む)の過去第2人称単数形/接続法第2式第2人称単数形
- du :あなた
- neu :新しい
- werden :なる
- , :(カンマ)
- wenn :なら
- du :あなた
- nicht :ない
- erst :一番
- Asche :灰
- geworden :werden(なる)の過去分詞形
- bist :sein(です)の直説法現在第2人称単数形
- ! :(感嘆符)
なんとか単語の意味は分かりました。
が、文章として理解するのが難しいことも判明。
何度か単語を読み返してみると、翻訳本の日本語と同じように思えてきました(無学な私の感覚なんぞはともかく、翻訳本は正しいと思う)ので、翻訳は正しいという結論に(笑)
ということで、原文と翻訳とで内容に相違ないことも確認できました。
では、ここで式辞での石井先生の発言と比べてみましょう。
Verbrennen mußt du dich wollen in deiner eignen flamme : wie wolltest du neu werden, wenn du nicht erst Asche geworden bist! *8(原文)
汝は汝自らの焔に焼かるることを欲(ねが)わざるべからず。
汝先ず灰燼(かいじん)となることなくば、いかぞよく新しくなるを得ん。*9(文語訳ツァラトゥストラかく語りき -- 新装版)
君は、みずから自身の炎で、自分自身を焼こうとせざるを得なくなる。
ひとたび灰になりおおせることなくして、どうして新たに甦ることができるというのか。*10(ツァラトゥストラかく語りき)
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。
きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!*11(石井先生)
やっと、比較できる状況になりました!
やっぱりといっては何ですが、問題なかったですね!
石井先生の引用は、正確な引用でした。
最後は、、、
東京大学の卒業式の式辞で、石井先生はこの内容を本当にお話しされたのか?
やっとここまでたどり着きました。
最後に、SNS で拡散されているこの内容を石井先生は本当に式辞でお話しされたのか?を確認したいと思います。
もしかしたら、1964年の大河内先生の時と同様に、当日は何らかの事情でお話しせず省略したのに、草稿のほうがマスコミに出回ってしまい、本当は言っていないのに言ったことになってしまったパターンかもしれませんからね。
卒業式当日、その場にいらっしゃった方に聞いてみれば間違いないと思います。
ということで、知り合いの東大卒の方に聞いてみましたが、当日その場にいた知り合い方は居ませんでした。
うん、そう簡単にはいないですよね(笑)
そこで、シェアされている記事は東京大学のホームページを引用していたので、ホームページに関するお問い合わせということで、東京大学に電話をして聞いてみることにしました。
Photo by Kakidai : Yasuda Auditorium - Wikimedia Commons
東京大学のホームページの「お問い合わせ」から電話番号を調べ「本部広報課」へ電話をしてみることに。
問題なく電話がつながったので、早速「石井先生は本当にこの内容をお話しされたのか?」と問い合わせたところ、本部では確認できないため教養学部へ尋ねてもらいたいとのことで、教養学部の電話番号を伝えられました。
あらためて、教養学部へ電話をしたところ、知っている者が離席しているため、確認の上折り返しをいただくことに。
電話を切って待つこと20分、、、携帯に着信が!!
これが問題なければ、調査完了だー!!と
心では期待に胸を躍らせつつつも、手は落ち着いて携帯を通話にしてお話しを伺うと、、、
「記載の内容に間違いはありません」と先ほどの方からお話が。
(心の中で)やったーーー
一言一句、違わないというわけではありませんが、基本的に内容に間違いはありませんとのことでした。
確認のお礼を述べつつ電話を切って
今度は
ちょっとだけ声に出しつつ
ちょっとだけガッツポーズで
やったーーー
まとめ
ということで、
東京大学の卒業式の式辞で、石井先生はこの内容をお話しされたということも確認ができました。
自分にパチパチパチ!!!!
はじめてこの記事を読んでから、2年。
放置し続けていた課題がやっと解決を迎えました。
石井先生の「最後の冗談」は、本当に冗談でした。
しかしそれは、哲学的で悪意のない知的好奇心をくすぐるすばらしいユーモアでした。
与えられた情報だけに頼らず、自分の目で真偽を確かめてもらいたいと願う石井先生のお気持ちに少しでも触れることができたのではと思いました。
ということで、一件落着!!!!
もし「自分は石井先生のお話しを生で聞いたよ」とか「実は自分も調べたよ」という方がいらっしゃいましたら、コメントをいただけるとうれしいです。
では、また。