「違い」の考察
「違い」の考察について
違いは、たとえ「わずか」でも重要である。
顧客が商品を選択する時、たとえ違いが「わずか」でも、いや、むしろそのわずかな違いを判断材料として、どちらにするか?を選ぶからだ。
ただし、造り手側はこの問題の解決策を安易に考えてはいけない。
安易とは「スペック的に上回っていること=勝てる」とはならないということ。
例えば、iPhoneは多くのandroid端末のスペックに劣ってはいるが、多くの人に選ばれている。
つまり、その「わずかな」違いは何を意味し、そして、どんな結果をもたらすのかをしっかりと理解した上で「違い」と向き合う必要があるということ。
「そもそも、期待されている3つを理解していない」と
私は感じることが多いです。
3つとは「造り」とその元になる「選択」さらにその元となる「思想」
- まずは「造り」
どんなものを造るにしても必ず重要となってくる。最愛の人に使ってもらう事を想定して手を抜かずに造る。これを愛情といい、ヒトは愛情がこめられているものか、そうでないものかを直感的に見抜ける生き物です。 - 次に「選択」
何を入れて何を入れないか、入れるならどのくらいか、入れるならどのように入れるのかなどの「選択」です。「選択」は一般的にセンスと言われることもある。センスの良いものが期待されており、決して、全部入りでもハイスペックではない。
そして、どういったセンスに惹かれるのかは利用者によって違う、つまり、何を入れてほしいのか入れてほしくないのか、どのくら入れてほしいのか、どのように入れてほしいのかが違うということ。
このセンスは後述の3の「思想」に基づいていることが最重要で、「思想」に紐づいた「選択」結果に、人は魅せられる。 - 最後に「思想」
ヒトは他人と共感したい生き物です。ヒトは2のさまざまな「選択」の結果、ようやく生を受けたすばらしいモノやサービスが必要なだけではありません。そのモノを購入し所有したり、そのサービスを利用したりすることは、つまり、それを利用している自分自身はすばらしい判断力をもっている(センスがある)ということやそれを所有できているということを他に示したいのです。もっと言うと、自分がすでに考えていたモノゴトがやっと世に出てきたかのように振る舞う人すらいます。
そして、それらに共感してもらいたいのです。
これらに応えるために
造り手は
「造り」は丁寧に
「選択」は大胆に
「思想」はシンプルに
しなければならない。
世の中には、似ている人はいても全く同じ人が1人としていないように、この3つすべてがことごとく同じとなることもまたあり得ません。appleのマネはできても、appleになり変わることはできません。
そして、同じようなモノやサービスであるにも関わらず、違いが生まれてくる理由がコレです。
造り手側はこれらを理解して、「違い」に向き合わなければならないと考えています。
ちなみに、造り手側の思考の順序としては、「思想」→「選択」→「造り」となります。今回は読者(一般的な顧客)が理解しやすい「造り」から説明したため、逆となっています。